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リオ会議でのスピーチ



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http://www.daily.co.jp/society/main/2016/03/14/000...から引用



過去、2012年に環境問題や、未来を全世界で



決めるという会議がリオで開かれて




日本メディアも色々と、大きく報道していました。




でも、ウルグアイのムヒカ大統領のスピーチの時では



誰も取り上げる事はなかったのです。



当時、リオの会議は各国の首脳達が集まっており



地球も未来を議論する場であり、各国の首脳達は



自分のスピーチが終われば、その場を去っていきます。




そして、ウルグアイのムヒカ大統領の時は最後となり




会場もほとんど、人は居ない中でスピーチをしました。




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「スピーチの内容 日本語訳」





会場にお越しの政府や代表のみなさま、ありがとうございます。



ここに招待しただいたブラジルとディルマ・ルセフ大統領に感謝いたします。


私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンターのみなさまにも感謝


いたします。



国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を議決しなければ


ならない素直な志をここで表現しているのだと思います。


しかし、頭の中にある厳しい疑問を声に出させてください。


午後からずっと話されていた事は持続可能な発展と世界の貧相を無くす


事でした。私達の本音は何なのでしょうか?


現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似する事でしょうか?



質問させてください。


ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車をインド人が持てば


この惑星はどうなるでしょうか。


息をする為の酸素がどれくらい残るでしょうか。


同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ怠慢な


消費を世界の70億~80億人の人が出来るほどの原料が


この地球にあるのでしょうか?可能ですか?


それとも、別の議論をしなければならないのでしょうか?


何故、私達はこのような社会を作ってしまったのですか?


マーケットエコノミーの子供、資本主義の子供たち、即ち私達が


間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作ってきたのです。


マーケット経済はマーケット社会を造り、このグローバリゼーションが


世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。



私達がグローバリゼーションをコントロールしていますか?


あるいはグローバリゼーションが私達をコントロールしているのでは


ないでしょうか?



このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で


「みんなの世界を良くしていこう」というような


共存共栄な議論は出来るのでしょうか?



どこまでが仲間でどこからがライバルなのですか?


このような事を言うのは、このイベントの重要性を批判する為のもので


はありません。その逆です。我々の前に立つ巨大な危機問題は環境危惧



ではありません。政治的な危機問題なのです。


現代の至っては、人類が作ったこの大きな勢力をコントロールしきれて


いません。


逆に人類がこの消費社会にコントロールされているのです。



私達は発展する為に生れてきている訳ではありません。



幸せになる為に、この地球にやってきたのです。人生は短いし、


すぐ目の前を過ぎしてしまいます。命よりも高価なものは存在しません。


ハイパー消費が世界を壊しているのにも関わらず、高価な商品や



ライフスタイルの為に人生を放り出しているのです。


消費が社会のモーターの世界では経済が麻痺し、経済が麻痺すれば


不況のお化けが、みんなの前に現れるのです。



このハイパー消費を続ける為には商品の寿命を縮め、出来るだけ


多く、売らなければなりません。


という事は、10万時間持つ電球を作れるのに、1000時間しか


持たない電球しか売ってはいけない社会にいるのです!


そんな長く持つ電球はマーケットに良くないので


作ってはいけないのです。


人がもっと働く為、もっと売る為に使い捨ての社会を続けなければ



ならないのです。悪循環の中に居るのにお気づきでしょうか。



これは、まぎれも無く政治問題ですし、この問題を別の解決の



道に私たち首脳は世界を導かなければなりません。


石器時代に戻れとは言いません。マーケットをまたコントロールしなければ


ならないと言っているのです。私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。



昔の賢明な方々、エビクロス、セネカやアイマラ民族まで



こんな事を言っています。



「貧乏な人とは、少ししかモノを持っていない人ではなく、無限の欲が


あり、いくらあっても満足をしない人の事だ」


これは、この議論にとって文化的なキーポイントだと思います。


国の代表者としてリオ会議の決議や会合にそういう気持ちで参加しています。


私のスピーチの中には耳が痛くなるような言葉が結構あると思いますが



みなさんには水源機と環境危機が問題源で無い事を分かってほしいのです。



根本的な問題は私たちが実行した社会モデルなのです。


そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだという事。



私は環境資源に恵まれている小さな国の代表です。


私の国には300万人ほどの国民しかいません。でも、世界でもっと



美味しい1300万頭の牛が私の国にはあります。ヤギも800万頭から



1000万頭ほどいます。



私の国は食べ物の輸出国です。こんな小さい国なのに領土の90%が



資源豊富なのです。私の同士である労働者たちは、8時間労働を成立させ



為に戦いました。そして今は、6時間労働を獲得した人も居ます。



しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており



結局は以前よりも長時間働いています。何故か?バイク、車などの



りポ払いやローンを支払わないといけないのです。毎月2倍働き、ローンを払って



行ったら、いつの間にか私のような老人になっているのです。



私と同じく、幸福な人生が目の前を一瞬で過ぎてしまいます。



そして、自分にこんな質問を投げかけます。



これが人類の運命なのか?私の言っている事はとてもシンプルなものですよ。


発展は幸福を阻害するものであってはいけないのです。



発展は人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。


愛情や人間関係、子どもを育てる事、友達を持つ事、そして必要最低限の




モノを持つ事。これらを、もたらすべきなのです。



幸福が私たちの、もっとも大切なものだからです。環境の為に戦うのであれば



人類の幸福こそが環境の一番大切な要素であるという事を覚えて



おかなくてはなりません。ありがとう、ございました。








この事を見て、みなさんはどうお感じになったでしょうか。

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